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「紅葉狩」「愛陀姫」@2008.08歌舞伎座・第三部

 初日と千穐楽、というなんともイベント好きの人みたいな(否定はしないけど、たまたま初日しか行けなかっただけだったり・・・)日程でしたが、納涼歌舞伎・第三部の二度目の観劇。

「紅葉狩」

前回観たときよりは余裕が生まれたかな・・・と。勘太郎というだけで観る側のハードルが上がってしまうのは毎回のことなのですが、きっちりと踊っているという印象です。
余裕がないとまでは言わないけれど、姫の風情とかは少し薄く感じました。
おそらく、回を重ねるごとに素敵な更科姫になっていくかと思いますが。
どうやら「紅葉狩」に関しては、女形がやるほうが好きみたいです、個人的には。
橋之助の維茂がとても素敵でした。雰囲気って、一朝一夕には出るものではないのですね・・・


「愛陀姫」

前回の感想で言いたかったことは言ってしまった気がしています。
二度目にして気付いたことを、またまたメモ書き程度に。

今回、自分の中で大きく違ったのは、台詞の奥深さが二度目にしてようやく少しわかってきましたよ、というカンジでしょうか。
とにかく台詞劇ですから、各人物の心理も(「傍白」というらしい)、会話も、全てが言葉として発せられます。
最初に観た時は、あまりの台詞量に、物語の展開についていくのに必死で、一つ一つの言葉の持つ力とか意味を考えている余裕がなかったかな・・・と。
そのあたりの上滑り感を少しだけ解消できた気がしました。

あと、ツケの間が難しい・・・というのも感じました。
感情面でのインパクトを与える効果ですが、全体的に鋭角的で同じような音・音量だったので、もう少し緩急がついても面白いかもしれません。
(友人は「音色があれば」と言っていましたが、なるほどと納得する一言でした)

七之助の愛陀姫は、さらに愛くるしく、純粋さが増していたように思います。橋之助の駄目助左衛門も同様。
愛陀と駄目助左衛門が純であればあるほど、濃姫の嫉妬心と葛藤が浮き彫りになっていくという構図だったと思います。

そういう意味では、愛陀の純粋さが増したことにより、愛陀も濃姫もそれぞれのポジショニングがかなり明確になっていたのが面白さを膨らませた要因かもしれません。
そしてまた、勘三郎の濃姫は恐ろしいまでの嫉妬心と葛藤はさらに深くなり、人としての弱さ、悲しさと、その裏に同居している強さが幕切れの台詞とともに強く印象に残りました。

おそらく、愛陀の気持ちも、濃姫の思いも、また駄目助左衛門の考え方も、そして祈祷師たちの考えも、誰もが持つことが出来、共有でき、あるいは共感できる感情であると思います。表への露出は人それぞれでしょうが。

人の感情の本質やうつろいをそれぞれの登場人物にうまく配置させ、立体パズルを組み立てていったような一幕だったように感じました。

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納涼歌舞伎・第二部@2008.08歌舞伎座

「つばくろは帰る」

どんな話かまったく知らずに行ったのですが(チラシの裏のあらすじも読みそびれた・・・)、いい話でした。
子供物はどうしても涙がついてまわるのであまり得意ではないのですけれど、そこを切り離しても、文五郎と君香の大人の恋と、三次郎とみつのカワイイ恋との対比もそれぞれ切なかったですし、師弟の信頼感と絆の強さ、布団屋の旦那と八重菊のおかあさんの暖かさ・・・ふりかえってみると、けち十(金貸し)は別にして、悪い人が出てこない話ですね。
今の世の中では、絶対にありえないことですけれど、忘れていたり無くしていた、しみじみとした何かを思い出させるような、そんなお話でした。

まず文五郎親分の懐の大きさが違和感がなく立派でした。あの大きさと懐の深さが、安之助をあそこまで惹きつけるのだということがとても自然に感じられました。
小吉の安之助も、子供の頃から他人に預けられてなんとなく気を遣いながら生きている様子、そんな中で自分の居場所を見つけて輝こうとしている様子というのがとても素直に受け取れる演技だったと思います。臆せずにやっているところがとてもよかったですね。

扇雀の八重菊のおかあさんのしっとりとした、祇園で力を持っているぐらいの貫禄と落ち着いた演技が心に残りました。

君香は置いてきた子供への思いと祇園の義理に苛まれていて、なんとなく全般に悲しんでいるという印象が強いのですが、子供を犠牲にしてまで生きている強さとか、祇園である程度の構えをしている凛とした強さがもう少しあっても良かったのかな・・・と。
でも、幕切れの文五郎と安之助を見送る、悲しさの中に清清しさがある表情がとても印象的でした。


「大江山酒呑童子」

童子の踊りが・・・若い。
勘三郎という役者の、魅力の一つでしょう(もちろん、技量に裏打ちされた魅力)。

串田和美美術ということで、期待はしていたのですけれど・・・水墨画のようなタペストリー(これは却って想像力をかきたてて素敵だったと思います)を利用して、真ん中に所作板があって、周囲の空間を使える部分がわずかしかなく・・・広い空間をうまく使うというのは難しいのでしょうか。
そのわずかな空間に人がごちゃっといる印象が否めませんでした。
しかし、見方によっては、主役至上主義の歌舞伎を、道具を使って具現化しているともいえるかもしれません。中央の所作板の上には(基本的に)童子ひとり。

終わってから友人と話していたのですが、美術全般でもそうでしたし、酒呑童子が飛び去っていく様子を人形で表していたのですが、歌舞伎座の広い空間だったら、あのコクーンのような人形の使い方ではなくて、もう少し効果的な方法があったのかもしれません。
とはいうものの、パイプ?がずっと丸見えだったので、あのような形になるのは想像がつきましたが、それでも幕切れは私としてはなかなか面白かったですけれど…
歌舞伎座というスケールにあっている美術だったのかどうかはちょっと疑問が残った部分もありました。
今回は、わりと前のほうで見たので、少し離れてみてみたら印象が変わるかもしれません。照明の効果も含めて・・・

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「野田版・愛陀姫」@2008.08歌舞伎座

なんだかあっという間に終わってしまって、あそこをもっとよく観ておくべきだった!とかあとから思い起こして反省中。
というわけで、メモ書き程度にまとめています。

基本的に、そのまんま「アイーダ」、、うまく合っていると思いました。
普通にお芝居としてなら面白かったです。
しかし、オペラ通からみたらいかがなものなのか、歌舞伎好きからみるとまた違った感想があると思います。
いずれにしても、私は面白く観ることができました。

おそらく、オペラの訳をそのまま台詞にしているのだと思います。オペラ歌舞伎を狙っているならそれでいいのですけれど、訳詞なので、日本語としての台詞の面白さは残念ながら少なかったように感じました。祈祷師コンビの台詞は普通の会話なので、自然で耳に心地よく感じるぐらい。
しかし反対に、そのままの台詞であるが故の迫力というのもあったとも思います。

もうひとつ、台詞が難しく聞こえてしまったのは、特に濃姫・愛陀・駄目助左衛門の台詞回しに要因があるのかもしれません。
同じような台詞でも、三津五郎の織田信秀のように、うたいあげるような台詞術だと、却って台詞の一つ一つが耳に入ってきて印象的なのですが。
もっとも、役柄も違いますから、一概にひとくくりには出来ないところだと思います。
三人は物語の始めからトップスピードで絶叫している感じなので、少し疲れてしまうのと、台詞においての叙情的なところは幕切れの地下牢の愛陀が出てくるまでなかったように感じました。
あと、ずっと妙な違和感を感じていた理由が何であったのか気になっていたのですが、とても些細なことですけれど、何度も「祖国が!」と連呼していることだったようにも思います。
日本らしく「ふるさと」とか、そういう書き換えはあってもよかったのかと思います。
そうは思うものの、全体のインパクトの強さとのバランスを考えると、これが最適なのかもしれませんが。

それぞれの役に関しては、濃姫は、時代物の立女形の風格があり、キッとした強さと、恋しい男を思えば思うほど反対の方向に行ってしまうジレンマ、嫉妬心からくる人間の心の闇がとてもはっきりと表されていたように思いました。

橋之助ラダメスは、なんだかいかにも爽やか好青年で橋之助似合っていますね。
木村駄目助左衛門(ラダメス)が若く作っているのに対して、上記のような濃姫なので、三角関係のバランスがちょっと感じられにくいようにも思いました。
そして、駄目助左衛門と愛陀はお互いの愛情面にもうちょっと繊細な心理描写がほしいところ、この点に関しては濃姫一人勝ち。

愛陀は愛らしく作っている印象。台詞とのバランスがちょっと違うのですが、現時点では大健闘していると思います。

音楽がとても素敵でした。和の楽器を使っての洋楽の演奏、という意味では、音だけ聴いていても楽しいかと思います。
オペラ「アイーダ」での使い方と比較したりするのも楽しいでしょうね。
オペラ通の友人に聞いたところ、矛盾はあるみたいなのですけれど。

ツケは、「深層心理の中で、心の表現として用いられる」と伺っていましたが(「附け打ちエッセンス」Blog)、簡単に言うと、登場人物がショックを受けたときなどの効果音的配置。
何かを印象付けたい時に効果的に入れるのがツケですから、心理状況を印象付けたい時に利用する・・・というのも面白いと思いました。

その他の役では、為所が少ないのですが、個人的には多々木斬蔵がオイシイかな、と。衣装も黒の甲冑姿でカッコいいですし。
斉藤道三は、肖像画からくるのイメージそのまま。そしてとても似合いすぎ・・・似合っているだけでなく、一国一城の主たる存在感がとてもありました。

そしてやはりなんと言っても、三津五郎の織田信秀は、時代物の風格がある、という言葉が一番しっくりくるかと。前述の台詞述にしても然り、圧倒的存在感然り。
信秀の役としてはなんであそこで出てきてしまうかなぁ・・・とか、色々突っ込みたくなるところはあるのですけれど。

全体で一時間半弱、濃密かつ凝縮されている一幕でした。

最後に、祈祷師コンビが徹底していて面白かったです。ビジュアル的なところでは、位が上がるごとに衣装がゴージャスになっていくところも楽しめました。
細毛の「人の心が読めるようになった」とは言い得て妙。
あと、嘘から出た真、がありまた真から出た嘘もあり。
お笑い部門担当的な位置づけではありますが、人間の本質と怖さは、祈祷師を通じて見えてきます。
物語の中で、笑いのベールに包みながらも、最も本質的な部分を担っている二人と言えると思います。

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ときわ会@2008.06ワッハ上方
今話題の「ワッハ上方」へ行ってきました。
片岡我當一門勉強会「ときわ会」です。
ときわ会に足を運ぶのは初めて。いままでは素踊りだったみたいですけれど、今回は拵えをしての本格的な舞台になっていました。

時間の都合で全部見られなかったのが残念無念・・・本当にごめんなさい、というぐらい、ベテラン若手一人一人が一生懸命ベストを尽くしていて、そしてアットホームであたたかな会でした。(ちなみにみられなかったのは最初と最後、あぁ悔しい)

注目は「京人形」佑次郎・千次郎のコンビ。
甚五郎の佑次郎は、暖簾をわけて出てきたときが、とても色っぽくて舞台姿が大きかったのが印象的でした。台詞もよかったですし。
でも、でも・・・舞台はナマモノ、ハプニング勃発!
大事な大事な小道具を忘れてしまったのですねぇ・・・手ぬぐいでも使ってごまかすかと思ったら、取りに戻ってました(楽屋が近くてよかったですね)。
そして、そんな忘れ物も「大事にしまいこんでしまった」とか綺麗にフォロー、失敗をきちんと取り返していました。
偉そうな言い方ですが、こうやってハプニングを経験して、きっと一回り大きくなっていくのでしょうね。本人としてはショックだったと思いますけど・・・
その後の踊りも、京人形の精・千次郎との息もピッタリで、これまた楽しく最後まで見られました。
千次郎のの踊りわけも上手で、なかなかレベルの高い一幕でした。

あと、和田祥太郎のリアル禿(笑)が可愛かったです。
でも、7歳にして、あれだけきちんと踊れたら、将来が楽しみですよね。

勉強会を続けるのは色々と大変だと思いますけれど、きっと力になるはずですから、今後も頑張って続けていただきたいと思いながら帰りました。
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「夏祭」初日雑感@2008.06シアターコクーン
歌舞伎の場合、どうしても同じ演目を何度もみることが多いです。
それは俳優が違ったり、また同じ人が違う座組でやったり、全く同じ配役だったりそれぞれなんですけれど、なるべく先入観を持たないで観ようといつも思っています。

コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」は、平成中村座も含めて、串田演出で何度も練り直されて上演されてきました。
同じところもあり、違うところもあり、また俳優のそのときの解釈や気持ち一つでがらっと違うものになります。
そして、期待に違わず、同じものでありながら新しいもののように感じました。

印象に残ったのは序幕の爽やかでありつつどこかしら曖昧な蒼い空。

今回注目したのは「音」についてでした。
大太鼓としてゲストに上田氏が入ったことで、全体の幅とか深さが増したように感じます。
もちろん、ゲスト氏も大活躍だったのですが、それ以上に笛方さんと附け打ちさんの活躍が印象に残りました。
大太鼓が入っている、という話が出た時、附けが大太鼓に消されてしまうのではないかと危惧していたのですが、太鼓と笛の間をとった音で、またそれが妙に浮くことなく重厚感をもった音になっていて、アンサンブルとしてとても効果的だったと思います。特に音としては、大詰の音がやはりよかったと思います。

お芝居のほうは、全体的に‘磯之丞がどうしてそこまで大切か’というのが今まで以上に明確に表されていたと思います。芝のぶの磯之丞も、特に何もしないのですが、存在感とか大きさが以前より出ていたように感じました。
今の時代ではちょっとわかりにくい義という文字なのかもしれませんが、全員の意識が磯之丞へ向かっている、それゆえ起こってしまった出来事と、それでも自分の身以上に他人を思いやる心が浮き彫りになっていました。
特に、磯之丞を守らなければいけないが故に逃げられない団七、その団七を何とかして助けたい徳兵衛とお梶。
「悪い人でも舅は親・・・」と、徳兵衛の「俺の心も水の泡」という言葉にとてもグッときてしまいました。

それから、初役の勘太郎のお辰。今まで何気なく見ていたけれど、どの程度強さを前面に出すかという匙加減が難しい役なのだなぁと思いました。
一言で言えば、勘三郎と福助を足して2で割ったようなイメージでしょうか。三婦と対峙するときよりも、焼き鏝を顔にあてた後の「これでも色気がござんすか」がグッと身に迫ってきました。前半部分はもう一度観る機会があるので、次回に期待したいです。
あと細かいところで印象に残ったのは、徳兵衛がお梶になんちゃって色仕掛けでせまるところの、お梶の表情がとても色っぽかったことでしょうか・・・(ついでに、団七内のお梶の衣装がとても好みです)。
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「新薄雪物語」「俄獅子」@2008.06歌舞伎座・昼の部
「新薄雪物語」

大顔合わせですね・・・歌舞伎座の豪華な芝居、という感じがしました。
なんといっても傑作だったのが吉右衛門の伊賀守!
この素晴らしさを上手く言葉で表現できないのがもどかしいぐらいです。
‘肚’のあるお芝居というのは、こういうもののことだろう、というお手本のように感じました。
詮議の場での出てきたときの格とか、じっと黙ったまま冷静に状況判断をしている様子、立派だなぁと思っていたのですが、本当に素晴らしかったのは合腹の場でした。
花道から出てきたときの様子は、何か通常とは違う、しかし具合が悪いというのだけを見せようとしているわざとらしさが一切なく、うわべだけでないのです。ここがその肚がある、という部分なのだろうと思いました。
続いて、梅の方へ状況を尋ねるところも、悲痛なでありながら何気ない様子でもあり、筋がわからなくてもなにか複雑な胸中であるというのが見て取れるように感じました。
そして左衛門が出てきてからの怒りが爆発するところは、左衛門と伊賀守の間でどういうやり取りがなされたのか、それをきちんと左衛門が守らなかったことへの怒りももちろんありますが、自分の命を捨ててまで守った若者に裏切られたことへの絶望感と悲哀のほうを強く感じました。
兵衛が出てきて自分の計略をきちんと飲み込んでくれたことがわかった時の満足げな表情、三人笑いの時に、悲しみよりもどちらかというと喜びの表情に感じました。計画がうまく行ったというというより、様々な荷物をようやく降ろせた安堵感のほうが強いような笑いだったように感じました。

あととても素敵だと思ったのは芝翫の梅の方と芝雀の薄雪姫、錦之助の左衛門。
梅の方は伊賀守vs梅の方のところの、~\木造の〜ようであり、でもただ無視をしているわけではなくしっかりと伊賀守と対峙しているところが、この二人の緊迫感があってよかったです。その後、全てがわかってからもあまりドタバタせず全体に格を感じたのと、三人笑いの先頭をきるのですが、愛息が生きていてくれたことの喜びと、夫が切腹した悲しみが混在した、なんとも複雑な残される者の切なさを感じました。

今回、吉右衛門や芝翫のお芝居を観ていて、よくインタビューなどで「役の性根が大切」といいますけれど、つまりはその役としてどれだけしっかりとした、太い軸を持っているかがポイントになってくる、という意味なのかなぁと漠然と思いました。

でも、芝居というのは一人だけがよければ成立するものではないので・・・とても気になったのが、合腹の場での最後の場面で、「目と目を合わせ」というところで、兵衛が全く伊賀守をみていなかったことがとても気になりました・・・一緒に行った人も同じことを言っていたので、せっかくのここまでの良さ、盛り上がりをそんな細かいところで帳消しにされたくないなぁ、と。

それにしても、今回はじめてこのお芝居を面白いと感じました。本来はどういう話だったのかというのが、吉右衛門の伊賀守によって明確に示してもらえたからでしょうか。
でもちょっと、長いのですけど、ね・・・。


「俄獅子」
つい最近観たような気がしたのは京都南座でしたね。
あのときは、狭い舞台で大勢のカラミがいたので、なんだかアクロバティックな印象しか残っていないのですが・・・
前の幕が重いので、打ち出しがこのぐらい華やかで楽しめました。


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「菅原」「達陀」「五人男」@2008.06博多座・夜の部
博多座は夜の部のみの観劇です。
(本当は昼の「対面」を幕見したかったのですが、しそびれまして・・・)

「加茂堤」
てっきり「車引」だと勝手に思い込んでいたので、「加茂堤」でびっくりしたのですが、「賀の祝」をやるならこちらのほうが自然ですよね。
とにかく八重と桜丸がかわいくてかわいくて・・・
梅枝の苅屋姫は、ちょっとお化粧が淋しげにみえました。

「賀の祝」
松王と梅王が大きい・・・子供っぽさが出ていて、とても結構でしたが、翫雀も松緑もちょっとお相撲さんみたいに見えましたね。
以前、歌舞伎座で「賀の祝」がかかったときに、時蔵が桜丸をしていたのですが、この方はやはり女形ですよね・・・八重が本当によかったです。なんだか最近立役が多いのよね〜と思っていたので(先月の赤星はよかったけど、今月の昼の部もまた忠七だったし)、八重も観たかった役の一つだったので、満足。

「達陀」
最後の10分に行き着くまでが、舞台が暗いのでちょっと睡魔と戦い気味になりそうなのですが、これが意外と飽きないのが不思議な踊り。
菊五郎の集慶は、少しお顔が細くなられて精悍な感じがしました。
群舞のところは、淡々と踊る人と、タイミングを周囲と合わせながら踊る人とでそれぞれなんですね。淡々と、しかし確実に踊られている秀調と、ここでも燃えているかのような團蔵がとても印象的でした。

「五人男」
久しぶりに菊之助の弁天を観たような気がしますが、うまくなりました。とくに浜松屋で見顕してからが、あざとさがなくて自然に運んでいるという印象。
知らざぁいって〜もあまり高くうたいすぎず、しかしさらっと流れるわけでもない、ちょうどいい台詞で、聴いていて心地よかったです。
松緑の南郷も同様。この二人はいいコンビになってきましたね。これから上演機会もまだまだたくさんあるでしょうから、時間の経過とともに変わっていく二人を観るのも楽しみになってきました。
あと、権十郎の鳶頭がやっぱりすっきり爽やかな、でも血の気の多い江戸っ子で、きっと頭ってこんな感じだったのだろうなぁと思わせられました。

勢揃いは、團蔵、菊之助がちょっとうたいすぎているように感じました。
反対に、亀三郎、梅枝、松緑はさらっと。
梅枝の赤星は期待していたのですが・・・赤星の台詞が一番難しいといわれるだけあって、ハードルが高いのだなぁとつくづく実感。
どの声で行くかというのもまだきちっと定まっていない感じもしましたし、台詞回しももうちょっと。先月お父様がなさっていてとても素敵だったので、自然に期待値が上がってしまうのは観る側の勝手で本当に申し訳ないですけれど、この世代でやる時は赤星は梅枝に、と言われるぐらいまで、一ヶ月の間に頑張っていただきたいです。
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演舞場・昼の部@2008.05新橋演舞場
「毛谷村」
亀治郎のお園が…お正月以上に雀右衛門にそっくり。お化粧もそしてだんだん顔の輪郭も似てきた?と思ってしまいました。
でも、お園が虚無僧姿で登場した時に、しっかりと男の声を出すのはちょっと違うと思うのですよね・・・あくまで、男装しているのですから、女が男声を作って出しているように聞こえないといけないと思います。そこで一気に興ざめしてしまったので、後半で自分の気持ちを盛り返していくのが少し困難でした。
押しかけ母親のお幸は吉之丞。花道から登場してきただけで目を奪われました。
この人、結構無体なことを言っているのですけれど、とにかく品と格があって、とても素敵でした。

「藤娘・三社祭・勢獅子」
藤娘は、藤音頭の後半にはいってすぐのところがとても色っぽくて、本当に大津絵から抜けてきたような不思議な色彩感覚に捉われました。それだけで満足・・・
三社祭は個性の違いとやはり踊りそのものに勢いがあるから盛り上がりますね。ただ、勢獅子はその分だけ損をしてしまっているように感じました。順番は逆にしたほうがよかったと思います。

「一本刀土俵入」
芝雀のお蔦は悪くはないのですが、「やけくそな女だからさ」という風情には今ひとつ乏しいように感じました。
吉右衛門の茂兵衛は意外とさらっとしていて、それでいて心に沁みてくる何かがあって、何度も観ているお芝居ですが、また少し新しい一面が見えてきたように思いました。
あと、やーこうが自然に鼻つまみ者になっていて、とても面白かったです。

見取り狂言としては、バランスがよくてどれも3幕だったと思いました。


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「喜撰」@幕見
金曜、土曜とようやくもう一度観たいと思っていた「喜撰」を幕見してきました。
ふわふわと浮かれた洒脱な舞踊、ということはわかっていたけれど、どういう踊りなのか、ようやく今回初めてわかってきたように思いました。
この舞踊の完成度の高さと、それをきちんとこなしている三津五郎。
‘踊りの神様’といわれた七代目三津五郎はモチロン知りませんが、当代も‘踊りの神様’なのではないでしょうか。
そして、そんな喜撰法師にしっかりと添っている時蔵のお梶がまた素敵で、「小町」の存在を感じさせる品格と、ただツンツンしているだけではない色気と情が感じられました。
喜撰だけがよくても、お梶が物足りないと光りませんからね。
相乗効果で、とても素敵な一幕でした。

このお二人で、ぜひ「六歌仙」の通しを観てみたいです。

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「東海道四谷怪談」@2008.05新橋演舞場・夜の部
普通の、という表現はあまり使いたくないのですが、古典歌舞伎の四谷怪談を久しぶりに観たように感じました。
中村屋の「四谷怪談」、コクーン歌舞伎の「四谷怪談」と続いていたので、どっぷり古典は久しぶりな気がしました。
そして、どちらがいいとか好きとかではなくて、古典ならではの面白さと、物足りなさ(ちょっとした仕掛けの稚拙さなど)の両面を再認識できたような気がします。

以前にも書きましたが、「四谷怪談」が嫌いなのは、怖いからではなくて、観ていて痛いしかわいそうだから。
今回は、痛くてかわいそうで胸が締め付けられる度合いが今まで以上に強くて、お岩さまが死ぬまで本当に胸が圧迫されたような痛さを感じてしまいましたし、そして・・・しっかりと暗くしていたというのもあると思いますが、怖かったです。

初日があいて割りとすぐに観たので、今観るとだいぶ変わってきているかもしれませんが。なんとなく全体的にまだ手探り状態な感じがしなくもなかったですね。

吉右衛門の伊右衛門は、いわゆる歌舞伎の‘すっきりとした色悪’というイメージではないので、顔の色はポスターぐらいに押さえたほうが、より伊右衛門の非道さが強まったように感じました(真っ白でびっくりしてしまいました)。
もともと結納金を主君のお金を盗むことでまかなってしまう悪い人なのだと思うのですが、最初に観た時は、ちょっとしたところから悪くなってしまった、というような感じを受けて少し違和感を感じました。
傘張りをしているときのイラツキ具合とか、伊藤の家から戻ってきて、いよいよ本格的に追い出そうとするときにフッと自分の中の悪人スイッチを入れる時や、隠亡堀の釣り糸をたれているときなど、細かいところですがさすがだと思いながら観ていました。
伊右衛門はもともと悪い人だけれど、塩冶浪人としてなかなか浮かび上がれない自分の身にイライラしていたり、結果DVという形で出てしまうという、許せないけれど人間らしい人なのかもしれないです。そういう部分をうまく出していたように思いました。

宅悦は、お岩さまの顔が変わったときの怖がり方が中途半端に感じました。伊右衛門もそうだったのですが、もっと怖がってくれないと、お岩さまの哀れさが半減してしまうように感じました。
それにしても、かわいそうな人です、お岩さま。
本当に救いがない。生きているときのお岩さまは繊細で儚くて、でも亡霊になってあれだけの執念を見せる力強さが根底にある人。
色々感じたのですが、とにかく見ていて苦しくなってしまったので、なんだかあまり覚えていません。
真女形のお岩さまだと、力強さという意味では少し不利なのかしらとも思いましたが、結構力強かったですね。近頃、あのDV場面で(あんなにひどくて目を覆いたいぐらいなのにどういうわけか笑う傾向にあるので)、本当は変に過剰にならないほうがいいのだと思うのですが。

今回、どうしても気になったのは美術です。
地蔵前と浪宅が殆ど一緒な気がしたのと、蛇山庵室の提灯抜けの下の植え込みが、ただディテールとして隠しているだけの板なのが丸わかりだったり、建物の全体のバランスがおかしかったり・・・
私、美術方面は詳しくないしよくわからないので、観ていて違和感があったり気になることはあまりないのですが、今年は浅草歌舞伎といい、今回の演舞場といい、なぜかとても気になりました。
演劇はトータル芸術ですから、その劇場の規格に合ったものを作っていかないと、どんなに俳優が頑張っても、そのいい演技が半減してしまうと思います。
演舞場や浅草での歌舞伎が、本当に歌舞伎座と遜色なく盛り上がっていくには、こういうところにも気を遣わなければいけないのではないでしょうか。
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