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追悼 中村四郎五郎丈
たまたま仕事関係の情報を確認することを思い出して、休みの日の夜にインターネットでみた「おくやみ」の欄。
目の中に飛び込んできた名前は、子供の頃から見知った文字。

なんのこと?という思いのままクリックして記事を読みましたが、あまりのことに実感がわかないままでした。
今月の歌舞伎座にも出演されていて、4/11から休演されていたと聞いています。実は休演されていることも知らなくて、21日に夜の部を観にいったとき、「(瀬尾と実盛がたずねてくるから)うちをよ〜く掃除しゃっされや、よいか、よいな」といって引っ込んでいく山左衛門さんを観ながら、同じ一門だし、いつもならこういう役は四郎五郎さんがなさるのに今月はどうしたのかしら、とか、やはり台詞が似ているなぁと漠然と思ったことを思い出しました。休演なさるまでは、四郎五郎さんがなさっていた、庄屋さんの役でした。
休演されてから、10日あまりの訃報。

四郎五郎さんといえば、歌舞伎を観るようになって早い次点で認識した一人。
やさしいお顔で、なんといっても名前が「しろごろう」。子供でも読める漢字!(笑)
やっぱり世話物のイメージが強いですね。
尻っぱしょりして…よく助五郎時代の源左衛門さんとセットのように出ていた姿が印象的に残っています。
ヤクザの子分だったり、長屋のおじさんだったり…凄味はないけれど、独特の飄々とした雰囲気と、だからといって埋没しない個性。
「法界坊」の道具屋さんや、「五人男」の超早口の番頭さんなど、持ち前の雰囲気を生かした当り役も数多くあったように思います。

時代物でも世話っぽい場面に出てくると、なんとなくそれらしい雰囲気になって。
大勢で出ていても、この方が一人はいると入らないとでは大きな違いだったと思います。
さらっとしているけれど江戸の空気ってこんな感じだったのかなぁと感じさせられるものがありました。

中村屋のお弟子さんは、先代のお弟子さんが多いのですよね。
その方たちに当代は見えるところ、見えないところで支えられているのだなぁとふと改めて思いました。
当代の襲名披露を支えて、さぁこれからというところで、昨年秋の源左衛門さんに続いて、天国へと、師匠である先代のもとへと旅立っていった四郎五郎さん。
お二方とも、記憶に残る役者さん、いつも自然とお芝居の中に溶け込んでいらした役者さん。
まだまだ実感がわきません。
せめて、旅立つ直前まで舞台に上がることができて、幸せな方だったと…思いたいです。

ご冥福をお祈りいたします。




日本俳優協会HPより
中村四郎五郎
なかむら・しろごろう
[代数]七代目
[屋号]中村屋
伝統歌舞伎保存会会員

▼立役。不器用そうでトボけた味が無類。『法界坊』で桜餅をもってでてくる人のよさそうな道具屋のおかしさ。『文七元結』の大家さんのほのぼのとした人情味。貴重な人である。

▼昭和6年生まれ。四代目中村もしほ(十七代目中村勘三郎)に師事し23年4月南座で中村たかほを名のり『喜撰(きせん)』の所化で初舞台。25年1月東京劇場で中村仲三郎と改名。39年7月歌舞伎座で三代目中村清五郎と改め『偲草姿錦絵』『八重桐廓噺』のお歌で名題昇進。51年4月歌舞伎座で七代目中村四郎五郎を襲名。

▼昭和42年9月国立劇場特別賞、46年9月同奨励賞。平成4年第十一回眞山青果賞助演賞。7年12月歌舞伎座賞。10年第十八回眞山青果賞奨励賞。13年第七回日本俳優協会賞。15年6月国立劇場優秀賞。

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追悼・二代目 中村源左衛門丈
10月20日に源左衛門さんが天に召されました.

昨年の三月,中村勘三郎襲名披露とともに助五郎から源左衛門に名前が変わりました.
披露は「一條大蔵譚」の敵役・八剣勘解由.
小さいけれど赤っ面が古風な顔立ちによく栄えていらっしゃいました.
それから約一年半.

役者さんに年齢は関係ないとよく言いますけれど,私が子供のころに見た助五郎さんと,あまりイメージが変わっていらっしゃらなかったです.
以前も書いたことがありましたが,駕籠屋さんといえば助五郎さんと四郎五郎さん.鰹売りも印象的ですね.
一昨年の「たぬき」の火葬場のおじさんなんて,世を捨てているようで一生懸命生きている味わいがあってとっても素敵でした.
力強い役も,江戸っ子の粋で勢いのいい役も,助五郎さん(源左衛門さん)が出てくると,お芝居の空気がパッとその時代に変わってしまう力を持っていると思っていました.
役はどんどん大きくなっていらっしゃいましたけれど,見た目の雰囲気とか声の張りとか,大きく変わっていないように感じました.
ご病気のことも記事で読んだことはあったけれど,舞台からはそれを感じさせないものがありましたし.
今年に入ってから,師匠(十八代目)の歌舞伎座公演がなかったため,観る機会が少し減ってしまっていて,巡業もいけなかったことが,今更ながら悔やまれます.
結局,私の中の最後の舞台は納涼歌舞伎の「南総里見八犬伝」の蟇六さんでした.

花の脇役
花の脇役
関 容子

10人の中の一人として,助五郎さんが紹介されています.
旅回りの役者を経て,19歳のときに内弟子として中村屋に入り,一門を陰になり日向になり支えた方.
内弟子から幹部名題まで昇進した方というのは,確固たるスターシステム(門閥制)をとる梨園の中では異例なことだと思います.
一度は出奔したこともあったようですけれど,最後まで中村屋につかえた方.

「花の脇役」の助五郎さんの回のしめくくりはこんなエピソードでした.
先代の勘三郎さんが亡くなって,師匠が勘九郎さんに代わったときに,「どんなに大変でも役をやらせてください」とお手紙を書かれたそうです.
勘九郎さんは翌日に「あ,わかったからね」とにっこりされて,ほっとされたそうです.
その思いを汲み取って,大きな役をつけた師匠,病気をおして最後までつとめられた源左衛門さん.
‘役’にこだわるという意味でも‘役者’らしい役者さんだった,ということでしょうか…

天国に着いたら,十七代目が「デコちゃん,まだ来るのは早いよ」って仰るのでしょうね…

ご冥福をお祈りいたします.

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週刊 人間国宝
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朝日新聞社から出版された「週刊 人間国宝」

歌舞伎の第一回は「歌舞伎の成立と女方」と題して,
六世 中村歌右衛門
七世 尾上梅幸
四世 中村雀右衛門
七世 中村芝翫
をとりあげています.

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「十三代目片岡仁左衛門さん」HP
【十三世片岡仁左衛門追善公演特集】

此の花亭のayaさんよりサイトのBBSのほうにご紹介がありましたので,記事にさせていただきます.

十三代目片岡仁左衛門丈の13回忌追善公演にあわせて,十三代目のHPができました.
→ ☆コチラ☆

此の花亭のayaさんと,十三代目仁左衛門丈ご贔屓のyaeさんが共同で,ご遺族や関係各位のご了解を得て作られた,愛情タップリのとっても素敵なサイトです.
2006年3月31日までの期間限定ということですが,本当にもったいないぐらい立派.

ここならではの十三代目がご存命中から松嶋屋に師事しているお弟子さんのお話や,たくさんの懐かしいお写真も見ることができます.
(また古いお写真が味があって素敵ですよ)

十三代目をご存知の方も,ご存知ない方もぜひ!一見の価値アリ,です!
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追悼・六代目 尾上松助丈
「しょうかくさん」
平成2年に六代目尾上松助を襲名する前の名前は尾上松鶴.
従って,私が最初に認識したときは「松鶴丈」でした.
松助を襲名することになったときに,「まつすけなんておじいさんみたいな名前だなぁ」と思った記憶があります.
(まぁあまり聞きなれない名前に変わるときはいつもそう思うのですけど)

襲名の頃に何かの記事で読んだ「松助襲名のときに松也が初舞台を踏むことになって,決まったときに親子で手を取り合って涙して喜んだ」というのことが印象的でした.
襲名とご子息の初舞台を歌舞伎座で同時にできたことは,きっと神様からの素敵なプレゼントだったのかもしれません.

門閥外,二代目松緑丈の部屋子から歌舞伎俳優としてスタートした松助さん.
辰之助・松緑亡き後,名実ともに菊五郎劇団を支え,粋なお兄ちゃんから,ならず者,敵役,襲名披露では男之助に五郎蔵,近頃では「助六」の通人から「宗五郎」のおとっつぁんまで・・・守備範囲の広い松助さん.
飄々とした雰囲気を醸し出しながら,何気ない様子で存在感をしっかりと示す人.
チャリ場でもそのお芝居の世界観は乱さず,普通に存在することができる稀有な人.
ちょっとした捨て台詞がかっこよくて,敵役をやれば意外と押し出しも強くて,老け役の貴重な戦力でもあり,これからもっともっと活躍してくれると思っていたのに.

知人から訃報を聞いたのは歌舞伎座の,千秋楽の夜の部開演の直前.
『松浦の太鼓』では弟の桂三さんが舞台に立っていらっしゃいました.
胸の締め付けられる思いで帰宅したら,最新号の「演劇界」,いつもはすぐ開けないのに,なぜかその場で開封して何気なくパラパラとめくり,はじめに目に付いたのは,山川静夫氏の随筆.
その文章の始まりは,つい先月,演舞場で会ったという松助・松也親子のこと・・・

まだ20歳の松也丈.
本当の意味での親子の共演も,もっとこれからだったのに.
やはり早い,早すぎる・・・松也丈にとっても,菊五郎劇団にとっても,歌舞伎界にとっても,そしてわたしたち観客にとっても.

なぜそんなに生き急ぐ?
なぜ神様はコチラにとっても必要な方たちをそんなに早く召されるのだろう?
いつもついてまわる思い.

私が知っているのは「しょうかくさん」の後半と,松助さんになってから.
どんな舞台にも,空気のように‘いるのが当たり前’だった人.
次の劇団の世話物の公演のとき,何かが足りないと,そして松助丈の不在を改めて実感するのかもしれません.

心よりご冥福をお祈りいたします.
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‘兼ねる’役者の筆頭に・・・三代目中村扇雀
扇雀という人は,独特の魅力を持った不思議な人だと思います.
あるときは可憐な花魁かと思えば長屋のおっかさんだったり,そうかと思えば御殿の片はずしもできるし,女子高生みたいな現代的な役も得意,挙句の果てにすっきりとした二枚目に,どこへ軸をおいても不思議ではない容姿と声に恵まれているといえるでしょう.

意地が悪く言えば,裏を返せば居所が定まらない,ということなのかもしれません.
でも扇雀に関して言えば,柔軟性,という言葉に置き換わります.それはどれをやっても加役ではなくて,本役になれると思うからです.
それに,歌舞伎の場合は‘兼ねる’ということは一つの重要なキーポイントになってきます.

上方の兼ねる役者を強烈に意識している父親の下で育ったとは思えないほど,歌舞伎俳優としてのスタートは遅かった人です.
たしかに,私が見始めた頃にはいなかったのに,ある日「扇雀の息子さんは二人いたのね」といった具合にふっと現れたという印象があります.
それからしばらくして勘九郎・橋之助らによる歌舞伎ブームになりましたから,歌舞伎ブームのターゲットと同世代で共演も多かった浩太郎(扇雀)の認知度も活躍も大いに増し,またその間にきっと遅れを取り戻すべく精進されたのではないかと推察されます.

立役,女形,文字にするとたった二文字,二種類の性別ですが,それぞれに大きな魅力がたくさんあります.
最初の頃は兄は立役,弟は女形という分業制だったように感じたのですが,同じ上方系の松嶋屋一門が育ってきたこともあり,徐々に役の幅が広がってきたように感じました.
その中で,完全分業から‘兼ねる’という形態に変わってきたように思います.
他の演劇も含めて,両方を‘兼ねる’という業務は歌舞伎以外は殆どなく,またその歌舞伎の中でも,その人の家においても,またニンや容姿においても自在に操れるという人は一握りになります.
その一握りにきっちりと属することができるのが扇雀だと思います.

そしてまた,他の人にはない扇雀の強みは,上方の血筋の家に生まれている,ということです.ただし育ちは東京ですから,ご本人的には関西弁は自在というわけではないと表向きは仰っていますけれど,

それでも‘家の芸’を伝承していくのも歌舞伎の魅力の一つですから,扇雀が上方の狂言を上方式に手がけていくことは必然になってきていますし,また上方が再注目されていてそのための公演も実施されていることも考えると,三代目雁治郎的兼ねる役者としての後継者は,やはり扇雀になってくるかと思います.

というわけで,今後も扇雀に期待.
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力のある人は・・・初代坂東弥十郎
弥十郎は,長年,猿之助一座にいました.
そして,ここにずっといるのはもったいない,と思っていたのですが.
猿之助一座が悪いというのではなくて,将来的にこの人が大歌舞伎で大変重要なポジションを占めてくるだろう,と子供心に思っていたからです.
それは,信二郎を筆頭に,右近・笑也などスターポジションではなく,研修出身ではないのに脇役を固めていたからでした.
よく言われることですが,舞台は主役だけでは成り立たちません.
当時の第五世代(勘九郎世代)に,当時はそのような俳優になれる候補が2,3人しか思い当たらなかったのです.

そしてあるとき,一座を離れるときがきました.
同じぐらいの時期に出て行った信二郎とともに,あるインタビューで名指しはしなかったけれど,二人のことをさして,猿之助ははっきり言っていました.
「力の無い人は,出て行きます」と.
貴重な戦力を削がれた悔しさか,ハッパをかけるための言葉か,はたまた本心かはわかりません.

一座を離れてからは,少しずつ大役がついてきました.
玉三郎の公演で演出をしたり,実年齢ではまだあまりやらないであろう老け役も手がけ,こんぴらでは「鈴ヶ森」の長兵衛,試演会では知盛,コクーンや中村座での活躍はいちいち挙げるに及ばず,です.
きっとこれから,様々なところで引っ張りだこになるとおもいます.

今になって思うのです.
もっと早く出ても,今みたいに色々できなかったかもしれません.
あのままずっといたら,スーパー歌舞伎の申し子の一人として,古典に帰るには遅かったかもしれません.
仮定のことに確証はゼロだけれど,今の,そしてこれからの活躍を見られれば,きっとあのタイミングがベストだったと言える時が来ると思います.

そう,力のある人だから出て行ったのだ,と.
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オンナの凝縮形・・・九代目中村福助
福助が演じる女は,その心底が表情に鏡のように反映されているように感じます.
心の美しい役のときは更に美しくなり,嫉妬と執念に狂った役のときは,いわゆる凝着の相といわれる世にも恐ろしい顔になります.
それが無理矢理に表情を作っている印象はなく,その役であるからその表情になる,という印象を自然に与えることができる,ある意味貴重な俳優といえるとおもいます.

そのことは,時として現代的であるとか女優的であるとか,はたまた歌舞伎味が少ないとか言われる場合もあるようですが,歌舞伎がデフォルメの演劇である以上,どれも当てはまらないように思うし,決して顔で演技をしているというわけではないのだから,悪いことではないと思います.

時として,せっかく持ち合わせたその美しい顔を,惜しげもなくこの世のものとは思えないほど崩してしまうところに,そのとき福助が演じている「女」の本質が凝縮されているように思います.

言葉を変えれば,あんな表情をしているときが,自分にもあるのかもしれない,ってことで.もしアナタが女性なら,福助の演じているその役は,自分の投影かもしれない・・・・・?
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‘挑む’坂東亀三郎
少し前に,写真家の稲越功一氏のお話を聞く機会に恵まれました.
氏いわく,「芝居でも絵画でも何でも,挑む気持ちで見ると,おのずと見方も変わるし得るものもある」と.
それから,ゆるいながらも自分なりに,挑む気持ちというのを持って見るように心がけるようにしています.

前置きはこれぐらいにして・・・
四天王とか士卒とか,腰元ってただずらっと並んでいるだけじゃないと思うのです.
歌舞伎モバイルのコラムで芝喜松丈もおっしゃっていたけれど,
きちんと参加してこそ芝居が成立するだろう,と.
で,今回そのきちんと参加していたと見受けられたのは,亀三郎丈.
菊五郎丈扮する柳澤と対決する近習の一人だったのですが,
殿様のお気に入りで急に出世した柳澤を,快く思っていないのに
図々しくも呼ばれもしないのに出仕してくるスタンドプレーが更に気に入らないというのを,
邪魔にならない範囲内で,きちんと視線を送ったり不快感を表したりしてお芝居されていました.

昔の方(といっても,二代松緑丈や十七代勘三郎丈)の芸談でよく読んだ記憶があるのは,
「若い頃は四天王とか士卒とかなんでもやって芝居を覚えたけど,今の若い人は・・・」という件でした.
ここでいう「今の若い人」というのは,もう少し上の世代を指すのですが,
世代関係なく「見て覚える」というのは歌舞伎で大切なことだと聞きます.
なかなか大きな役ができなくても,いつか将来こういう経験が役に立つのだろうなぁと思いながら,
芝居を壊すようなことはなく,かつ自分の役に,周囲の役に挑むという,
ギリギリの範囲内できちんと役として息づいている亀三郎丈を末頼もしく思いました.
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